ラジオディレクターの涌井慎と申します。
RenS(レンス)ミュージックスクールと特別深い関係はありませんが、
こうしてコラムを執筆させていただけているというのは、
何かしらの需要があるのだと信じています。信じさせてください。
タンバリン?タンブリン?
先日、浅井健一さんの特番を担当させていただきました。
正直、私、浅井健一さんのことをよく知りません。
元ブランキージェットシティーということは知っていても、
ブランキーの曲で知ってるといえるのは「赤いタンバリン」くらい。
それも、いま、「タンバリン」か「タンブリン」かを
ネットで調べたくらいです。
そんな人間が特番なんて担当していいのか?と思うかもしれませんが、
知らないからといってリスペクトの気持ちがないわけではありません。
個人的には 特番を担当する際、
ディレクターの“特別な思い入れ”など余計なものだと思っています。
あまり“思い入れ”が前に出すぎると、
なんといいますか、「ウザい」感じが出てしまうといいますか。
靴ひもがほどけてるのをわかっていて、
後で結ぼうと思ってるとき、「ほどけてるよ」って言われると
「わかってるわい!」という気持ちになるじゃありませんか。
ああいう“余計なお世話感”が出ちゃう気がするんですよね。
知りませんけど。
なんで若葉の頃やねん
さて、そんな特番を担当させていただくというご縁もあったので、
私、生まれて初めて浅井健一さんのライブを見に行きました。
浅井健一& THE INTERCHANGE KILLSの磔磔公演です。
満員の磔磔は開演前から期待感が膨らんでおりましたが、
ビージーズの「若葉の頃」が流れ、
磔磔のあの階段からメンバーが降りてくると、
会場の至るところから「ベンジー」コール。
どの「ベンジー」にも愛がこもっておりました。
その後はもうひたすら浅井健一ですよ。
いくら「知らない」といっても、
浅井健一のギターの“音”くらいは知っています。
一音鳴るたびに「浅井健一の音」が出るんです。
そこに超絶技巧のベースとドラム。
おいおい、3人しかいないのになんでそんなに音が厚いの?
個人的に気になったというか、
「この人たちひたすらすごいな」と思ったのは、
ライブ中に全くアイコンタクトしないんですよね。
これ、いかがですかね?
私は浅井健一さんが二人のメンバーに全幅の信頼を寄せている証、
そしてこの日のライブのために繰り返してきたリハーサルの賜物と思ったわけですが。
知らない人に届けるには
1時間30分ほどのライブはあっという間。
本当に最高のステージだったのですが、
ふと考えたのは
「ここにいる人たちのなかで、浅井健一のことを碌に知らないのは僕だけなんだろうな」
ということです。
あの場所にいた私以外のおそらく全員が、
浅井健一、あるいは浅井健一& THE INTERCHANGE KILLSのファンだったと思います。
でも、それってすごくもったいないことでもあるなと感じました。
あの理屈抜きに魂を揺さぶるライブを、「ファンしか見られない」わけですよね。
例えば、中学1年生が初めて触れるロックが浅井健一だった・・
というようなことがすごく起こりにくいといいますか。
ファンが盛り上がり、ファンが盛り上げるライブというのが、
いけないわけじゃなくて、それはものすごく健全で、素敵なことだと思うのですが、
あれほどのカリスマ性、あれほどの説得力、あれほどの愛、あれほどのグルーヴ、
浅井健一のことを知らない人間も、
すっかり虜になっちまうんじゃないか。
もっともっと、知らない人たちに届いてほしいと強く感じたライブなのでした。
どうすればいいんでしょうね。
それを提示してこそ有益なコラムなんでしょうけどね。
みんなで考える問題提起ということで。失礼します。また来月。