前回のソプラノ・サックスに続いて、今回はアルト・サックスの演奏をご紹介したいと思います!
ご興味のある方はもちろん、すでにサックスをされている方は、自分のやっている楽器はどんな音色があって、どんな演奏が出来るのか?という事や、好きなスタイルやプレーヤーをみつけて、「この音色が好み!」「こういう風に演奏したい!」というイメージを持つのはとっても大事なことなので、ぜひ参考にして下さいね。
アルト・サックスは「女性ボーカル」くらいの音域のイメージを持って頂ければ良いかと思います!
3大スウィング・アルト奏者
(Johnny Hodges , Benny Carter , Willie Smith)
Johnny Hodges (ジョニー・ホッジス)
1907-1970
ジャズ界で最も美しい音色のサックス奏者といわれています。
そのサウンドは艶がありひたすらにメロウ。
年少の頃、シドニー・ベシェに感銘をうけてソプラノ・サックスを始め、後にアルト・サックスに転向しました。1928年にデューク・エリントン楽団に入り、短い退団期間がありましたが、以後生涯に亘ってエリントン楽団のリード・アルト、ソロイストとして活躍しました。
ブルースとバラードの演奏は絶品。
音程を滑らかにつなぐ「ポルタメント」の名手。
Benny Carter (ベニー・カーター)
1907-2003
ジョニー・ホッジスと並び称されたアルト・サックスの名手。
ピアノやトランペットなども演奏しました。
一方、作編曲者としても才能を発揮し、カウント・ベイシー、デューク・エリントン楽団などにも数多くの編曲を提供しました。また、スウィングからモダンジャズに至る幅広いミュージシャンとも共演し敬愛されました。
彼もジョニー・ホッジスと同様に生涯演奏スタイルは変えませんでした。
Willie Smith (ウィリー・スミス)
1910-1967
優れたスウィング・アルト奏者でしたが、なぜかジョニー・ホッジス、ベニー・カーターのような華やかな名声を得ることができず、常に3番目とされていました。
しかし、若い頃から加入したジミー・ランスフォード楽団のリード・アルトとしてのスウィング奏法は二人と比肩できるものでした。
後にハリー・ジェイムス楽団に加入してバンドが最上級のバンドとして位置づけられるまでに貢献しました。ジョニー・ホッジスがデューク・エリントン楽団を退団したとき、三顧の礼をもって迎えられました。
また後年JATPの一員としても活躍しました。
Lee Konitz (リー・コニッツ)
1927-
1927年10月13日米国イリノイ州シカゴ生まれのアルト・サックス奏者。
レニー・トリスターノの薫陶を受けたジャズマンを“トリスターノ派”と称するが、コニッツはその代表的ミュージシャン。40年代末にクロード・ソーンヒル楽団、クールな時代のマイルス・デイヴィスと共演(『クールの誕生』)。49年に初リーダー作『サブコンシャス・リー』を録音。
妥協を許さない孤高の人。知的かつ論理的な演奏が特徴。
Art Pepper (アート・ペッパー)
1925-1982
前期
後期
1940年代よりスタン・ケントン楽団やベニー・カーター楽団で活動を開始する。1950年代には自己のコンボを結成し、ウエスト・コースト・ジャズの中心的な人物として活躍した。1957年、当時のマイルス・デイビス・グループのメンバーと録音された「ミーツ・ザ・リズムセクション」はジャズを代表する超名盤。
前期のペッパーは、知的かつ閃きに満ちたメロディアスな演奏で「アルトの詩人」と称される。
生涯を通じて麻薬中毒によりしばしば音楽活動が中断されている。1960年代後半を、ペッパーは薬物中毒者のためのリハビリテーション施設シナノンですごした。1974年には音楽活動に復帰し、モード・ジャズに傾倒した演奏で精力的に活動した。
Charlie Parker (チャーリー・パーカー)
1920-1955
「Bird」の愛称で呼ばれる、ジャズ界最大の巨人。
「スウィング・ジャズ」と呼ばれる主にダンスの伴奏音楽だったジャズのメロディーやハーモニーを複雑かつ高速化し、演奏者が順番にアドリブ・ソロを回して、それぞれの腕を競い合う「ビ・バップ」スタイルをトランペット奏者ディジー・ガレスピーらと共に創り上げた1大ムーブメントの中心人物。
楽曲の複雑化により、「踊る音楽」から「聴く音楽」へと変化していき、より芸術性が高まり、文化として世界中に認知されはじめていくのもこの時期です。(音楽の優劣という事ではありません。)
商業音楽史上、非常に重要なターニング・ポイントとされている「バークリー・メソッド」との親和性が高いスタイルであり、ビバップ以降のジャズを「モダン・ジャズ」、それ以前のジャズを「スウィング・ジャズ」と呼ばれるようになりました。
若い頃から麻薬とアルコールに耽溺して心身の健康を損ない、幾度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯を送った。1955年、それらに伴う衰弱のため35歳の若さで心不全により早世した。
「ジャズの帝王」マイルス・デイヴィスは自伝の冒頭で「オレの人生で最高の瞬間はディズ(ディジー・ガレスピー)とバードが一緒に演奏していのを初めて聴いた時だった。」と綴っている。
彼の生涯はクリント・イーストウッド監督による1988年製作の映画『バード』で描かれています。
Cannonball Adderley (キャノンボール・アダレイ)
1928-1975
マイルス・デイヴィスのグループで活躍し、後にソウル・ジャズ、ファンキー・ジャズの立役者の一人としても知られる。
抜群のリズム感とフィンガリングテクニックを駆使したフレージングが持ち味であり、独特のブルース・フィーリングに溢れています。
チャーリー・パーカーが他界した年に入れ替わるようにしてシーンに登場したため「バード・ジュニア」と呼ばれ一躍注目を集めました。
↓その他、チャーリー・パーカーに多大な影響を受けた代表的なアルト奏者をざっと紹介します。↓
Phil Woods (フィル・ウッズ)
1931-2015
ビリー・ジョエル「素顔のままで」のサックスはフィル・ウッズが演奏しています。
Jackie Mclean (ジャッキー・マクリーン)
1931-2006
無骨でダークな音色が特徴的。
マル・ウォルドロン作「レフト・アローン」での演奏がマクリーンの人気を不動のものに。
Sonny Stitt (ソニー・スティット)
1924-1982
チャーリー・パーカーに似すぎていると言われたため、後にテナーも吹くように。
Lou Donaldson (ルー・ドナルドソン)
1926-
ソウル・ジャズの分野でも活躍。良い意味で、気張って吹いていない時がリラックスしてて最高にグルーヴィー!
↑代表的なパーカー直系アルト奏者の紹介でした↑
Paul Desmond(ポール・デスモント)
1924-1977
「ウエスト・コースト・ジャズ」と呼ばれるロサンゼルスを中心に演奏されていたスタイルの代表的な奏者。豪快な音色が多い中、知的で繊細、ジョニー・ホッジスやレスター・ヤングにも通じる「スイート」な音色で異彩を放った。
デイヴ・ブルーベック・カルテット在籍時に作曲、演奏した「テイク・ファイブ」で知られる。
同曲があまりにもヒットしたため、「テイク・ファイブ(だけ)の人」と思われがちだが、生涯を通して録音、ライブ共に「いつでも」素晴らしい演奏を残した類い稀なる実力の持ち主。
Eric Dolphy(エリック・ドルフィー)
1928-1964
アルト・サックスのみならず、フルートやバス・クラリネットを駆使し、卓越した技巧と独特のアドリブフレーズで知られる。そのフレージングからフリー・ジャズと分類されることもあるが、本質は音楽理論に根ざした演奏で、ビ・バップ、モード・ジャズをミックスさせたようなスタイルです。
Ornette Coleman(オーネット・コールマン)
1930-2015
フリー・ジャズの先駆者として知られる。1950年代後半、それまでの西洋音楽的な和声やビートとは一線を画す実験的な前衛作品を発表し、一大センセーションを巻き起こした。その後、コルトレーンらによってスピリチャル・ジャズ〜フリー・ジャズへと受け継がれて行きます。
David Sanborn(デイヴィッド・サンボーン)
1945-
1970年代以降、器材が電機化し、ロックやポップス、ファンクなど様々なジャンルを融合させた「クロスオーバー」「フュージョン」「スムース・ジャズ」と呼ばれるスタイルが発展していきます。
サンボーンはそれまでの奏者にはない、ソリッドでブライト、かつ渋みもあるがエレクトリック楽器の中でも埋もれない音色を確立。チャーリー・パーカーと並ぶ、絶大な影響力をもつサックス・レジェンドの一人です。
圧倒的な「歌心」で、もはやソウル・シンガーかと思うほどのメロディアスなプレイが持ち味。
Maceo Parker(メイシオ・パーカー)
1943-
自身のプレイを「98%ファンク、2%ジャズ」と公言しているファンク界の重鎮。ジェームス・ブラウンのバックバンド、「J.B.’s」で名を上げた後、ジョージ・クリントン率いる「Pファンク」へ参加した。ソロ活動も盛んで、そのエンターテイメント性の高い素晴らしいパフォーマンスで世界中で人気を集めている。
以上、1980年くらいまでに台頭した代表的なアルト・サックス奏者をざっと取り上げてみました!
もちろん、他にも素晴らしい奏者はたくさんいますので、お気に入りのプレーヤーを見つけて下さいね!